天気の子を考察!最後のシーンの意味とは?

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こんにちは、いずみんです。

新海誠監督の最新作『天気の子』は観ましたか?

天気の子でいちばん気になるシーンといえば、やっぱり最後ですよね。

 

陽菜はなぜ海に沈んだ東京を前にして祈っていたのか?

帆高が最後に陽菜に放った言葉の意味は?

 

今回は最後のシーンを中心に考察してみました。

なお、ネタバレがありますので知りたくない方は読まないよう気をつけてください。

天気の子を考察!最後のシーンの意味とは?

後半クライマックス・・・

・・・

空は晴れ、陽菜はベッドから空へと消えていった。

帆高は陽菜を取り戻すべく、廃ビルへと向かい鳥居を抜け、雲の上で陽菜を見つける。

陽菜が人柱から解放され、2人で一緒に生きていくために、帆高は「もう二度と晴れなくていい、、天気なんて狂ったままでいいんだ!」と叫ぶ。

2人は地上へと戻るが、その日から世界では、雨が3年間休まず降り続けた。

3年後、、

帆高は、島へ戻され地元の高校を卒業。ともに保護観察期間も終わり、東京へと戻る。

東京へ戻るが、降り続く雨のせいで街は水没していた。

そんな中、帆高は坂の上で陽菜と再会する。

陽菜は、沈んだ東京を前にして祈りをささげていた。

2人は抱き合い、帆高が「僕たちは大丈夫だ」と放つと陽菜の右から光が差し込む。

最後、陽菜はなぜ祈りをささげていた?

帆高は陽菜に近づくと、懸命に祈る陽菜の姿に目を奪われます。

なぜ祈っているのか?

陽菜自身、自分には晴れ女としての力が無くなっていることには気付いているはずですよね。

 

陽菜のチョーカーは壊れてしまった → もう晴れ女としての力は無い

3年間雨が降り続け東京は水没 → もう晴れ女としての力は無い

 

これらが陽菜はもう晴れ女ではないことを指していると思います。

 

では、なぜ祈っているのか?

東京が水没するくらい雨が降り続いていても、最後の方では桜が咲いていたり、局所的な晴れがあるというシーンがあります。

このことが、短期間や不特定のエリアで晴れ間が生まれることを意味しているのではないでしょうか。

陽菜は、天気の子としての責任や「晴れてほしい」という希望が、祈り続けるという行動を起こしているのだと思います。

帆高の「僕たちは大丈夫だ」の意味とは

 

・陽菜の顔に西からの光が当たる(夕日)

この最後のシーンが意味することは、「陽菜に能力戻った」または「2人の間で晴れ女の力が生まれた」のどちらかだと思います。

帆高も鳥居をくぐっているのでありえますね。

ということは、また「晴れ」と「豪雨」の繰り返しの世界が待っています。

 

・帆高の「僕たちは大丈夫だ」

この言葉には「狂った世界だろうが、雨が降っても雪が降っても大丈夫!僕たちは強く生きていける」という意味込められていると思います。

新海監督自身も、『なにも根拠も保証もないけど、「大丈夫だ!」と若者は言ってほしい』と語っていました。

それを感じることができれば新海監督もクリエイターとして前に進み続けることができるのでしょう。

 

まとめ

「天気の子を考察!最後のシーンの意味とは?」ということでまとめてみました。

「僕たちは大丈夫だ」には新海監督の現代に向けての思いが込められていたのですね。

個人的に、最後のシーンが「天気の子」をより深い映画にさせたと思います。

またじっくり観たいですね♪

ご覧いただきありがとうございました。

 

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